塗りかえられるフランス政治地図とフランス共産党
86年3月16日におこなわれた国民議会(下院)選挙で、保守連合が過半数を占めた結果、ミッテラン社会党政権のもとに、シラク首相以下の保守政府が発足。
フランスは"保革共存"(コアビタシオン)体制に入りました。
強力な大統領権限のもとに、その指導下の勢力が国会多数派を占めることを前提としている第五共和制下で初あての出来事であり、こうした体制がどのように機能していくのか・・・
世界中から関心を集めました。
今回の選挙では、保守がかろうじて過半数を獲得したものの、社会党が32%近くの得票で第一党を獲得し、84年の欧州議会選挙で21%にまで落ちこんだ支持を回復しました。
ジョスパン社会党第一書記は「党は歴史的前進を果たし、危機のなかで、右翼と対決し、5年間の統治を通じて政権を担当する大政党に成長した」と宣言しました。
国会で多数派から少数派に転落したわけですから、常識的には「敗北」宣言となるところですが、笑いをこらえきれないといった表情で声明を発表するという妙な会見になったわけです。
他方、フランス共産党にとっては、84年の11%からさらに9%台の1ケタの得票率におちこむという歴史的敗北の悲しみの日曜日となりました。
これとは対照的に、喜びを爆発させ、シャンパンの景気のよい音が鳴りやまなかったのが極右の国民戦線。
国会初進出で、共産党と並ぶ35議席を獲得しました。
共産党は海外県の共産党(フランス共産党とは組織も政策も異なる)からの3議席を加算しており、フランス本土での勝負では、議席でも得票率でもそれぞれ3議席、0.11%の差をつけて極右が共産党よりも上位となっています。
共産党は万年泡沫候補といわれた極右にもぬかれ、事実上第五党になったとすらいえる完敗ぶりです。