コルシカとフランスの結びつき 2
現代フランスとの結びつきを強めた要因として、レジスタンス闘争は特筆されます。
アジャクシオの埠頭の壁には、「1943年9月9日フランスと共和国のために立ち上がった愛国者を支援するために、9月13日午前1時半100人の突撃隊がここに上陸す」と書かれたプレートがはめこまれて
います。
上陸直後に、1942年11月にコルシカを占領したムソリー二・イタリアとヒトラー・ドイツの連合軍10万による占領は終わり、この島がファシズム打倒の巨大な航空母艦の役割を果たすのです。
コルシカは第一次世界大戦(1914~18年)でも、島民の5人に1人にあたる4万人が死ぬという戦争の悲惨を味わっています。
コルシカ人は、ナチに降伏したフランスのビシー政権支配を拒否したものの、独伊占領初期にはレジスタンスに身を投じる者は100人余でした。
しかしイタリア降伏の43年9月9日には、7万人の島民が立ち上がったのです。
当時の新聞は「フランスとイタリアの間に紛争がおき、それが民主主義対ファシズムという形をとっていなかったなら、コルシカ人はどちらにも参加しなかった。
それはペストとコレラの選択に等しいからだ」と書いています。
コルシカは山の要塞ともいえる島。
アジャクシオからバスチアまで4時間余の汽車の旅は、小箱のような1両の車両で2500メートル級の山間を通りぬけるのです。
ここの灌木林はかつての独立闘争でもレジスタンス闘争でも大きな役割を果たしました。
この林はマキと呼ばれますが、フランスでレジスタンス闘争をマキと呼ぶ言い方はこの島から生まれているのです。
解放闘争にかんする記念碑や名称が多く、これも島の誇りとなっています。
